彼はその部屋に顔だけひょいと出し、声をかけた。
「おい、誰か。
 ペルル導師の手伝いに行ってくれ」
「僕、行きます」
 案の定、いつものヤツが威勢良く手を上げた。

 どうやらペルル導師とお付き合いしているらしいが、あの才女とよくもまあ続くものだと思う。

 研究バカで悪魔並に仕事をこなす導師。
 一方、やつは平凡だ。
 平凡すぎて特徴を聞かれても困るくらいだ。

 なんかかわいそうだ。

 

 彼はかわいそうな後輩を見送ると、その足で食堂に向かった。

 一応、今日は非番なのだ。
 たまには昼に昼飯を食べてみたい。
 昼飯はおやつじゃないんだと再認識したい。

 

 彼が務めるのは、世界で一番忙しいといわれ、事実忙しい東総支部。
 人事は気を使って優秀な人材を送ってくれるのだが、それでも手一杯の毎日だ。

 なにせ東大陸は土地が広く、未開の地が多く、禁忌の場所も多い。
 土地柄も場所によってまちまち。
 どれくらいすごいかというと、だ。

 北方は雪が降る。
 南方は雪を見ずに一生を終えるものがいる。

 北方は他大陸との交流が多く、貿易も盛んで繁盛している。
 南方はいまだ素っ裸の子どもたちが沼でナマズを獲って食糧を得ている。

 北方では魔導士を見ると手を振ってあいさつしてくれる。
 南方は魔導士を見ると、立ち止まって深々と頭を下げてくる。
 年寄りになると土下座してくるものだから、居たたまれない。

 こんな感じだ。
 発展率も違いすぎて、臨機応変な対応を強いられているのだ。

 それが悪いわけではない。
 南北ともに、それぞれ良いところはあるし、共通して人がいいことに変わりはない。
 珍しいことだが、この東大陸では魔導士は好意的に受け入れられている。

 

 それはそれはその昔
 北方、南方それぞれが新興国に飲み込まれそうになったとき。
 北方には金の魔導士が。
 南方には炎の英雄が。
 現れ、土着の民を救ったという。

『森に生まれ。
 森に生き。
 森に還る者が、この地を統べる』

 金色の魔導士の言葉により、炎の英雄はこの地に根を降ろした。
 自身亡き後は王座を兄弟と息子に継承した。

 文師。
 王師。
 武師。
 兄弟と息子たちはそう呼ばれ、太古に滅んだ帝都の城を復興させた。

 それは兄の思い出の場所だったから、と、王師が言った。

 兄が短い幼少時代を過ごした、森の都。
 深い森と大海原に挟まれ、聖地が遥か彼方に見渡せる断崖絶壁の皇宮。

 大森林の中央には大地の母神キラ・ナを奉った神殿。
 森中に住まう人々は森の精霊の声を聞き。
 帝都の周囲に集まる民は風の子守唄で育った。

 大河は毎年、雨季になると洪水を起こし、肥沃な土地を運んだ。
 大きな果実は甘く、たわわに実り。
 空と対のような青さの海には、子どもほどの大きさの魚が悠々と泳いでいた。

 笑いの絶えない、大帝国だったという。

 

 世界を混乱させた大戦さえなければ、今も脈々と古の血は継がれていただろう。
 大戦中に皇族は死に絶え、壮大なる皇宮も、賑やかだった都も破壊し尽くされた。

 遺跡だけとなったその場所で、炎の英雄は呟いた。

『腹を満たせるだけの食べものを得て。
 互いの温もりで寒さを凌ぎ。
 風の声を聞き。
 雨の跡に感謝し。
 いつか森で死ぬことができたのなら。

 それがわたしの、幸せだろう』

 

 大戦のために視力と声を失った兄の意思を継いだ兄弟と息子たち。
 そのうちの弟、王師と呼ばれた彼は、神殿で大地の女神の加護を受けた。

 二度と、森と兄を嘆かせぬよう、約束したという。

 

 

 ───古のアウワーキッシュ。
 当時、忘れ去られかけていた都の名前を復活させたのは、偉大なる者を兄に持つ青年だった。
 漆黒の髪に、強い光を持つ黄金色の瞳。

『なぁ、ちょっと見てくれよ。
 この木、曲がってきた。
 捻くれてんのかな?』
 造りかけの庭から、偉大なる人に語りかける。

 言葉が返らなくともいい。
 生きてさえいてくれるのなら。
 そう思って、毎日話しかけた。

 偉大なる人はやはり無言で、幹を上でなく横に伸ばし始めた木に触れた。
 すると、まだ細かった幹はぐんぐんと成長し、大人の胴ほどの太さになった。

『……捻くれたままじゃん』
 しかし、そう、幹は捻くれたまま、拳を振り上げた腕のような形になっていた。

 偉大なる人は微笑んで、その歪んだ幹に手をかけると、身軽にそれに飛び乗った。
『……あんた、座るところがほしかっただけだろ?』
 偉大なる人はうなずいた。
 そして目を閉じてしまう。

 寝る気だ。

 まったく……と青年は呟いて、静かにその場を去った。
 偉大なる人の昼寝の邪魔にならないように。
 大戦を終結させ、老いていく姿を日に日に小さくさせていく兄の、穏やかな時間を奪わぬように。

 

 

 ポン、と肩を叩かれた。
 もの思いにふけっていた彼は、背後を振り返る。
「よー、ディエス」
「………………ど、どうも、先輩」

 目の下を真っ黒にした先輩は彼の肩を叩いた手をそのままに、ぎゅっ、と掴んだ。
「……っ」
 嫌な予感。

「非番だって?
 いーねー非番?
 そぉお非番なんだディエス君」
 もう離さないぞ、という顔で先輩が笑う。

「……………………」
 今日、彼は非番で。
 久しぶりに昼に昼飯を食べようと思った。

「………………先輩」
「うん?」
「風がオレを呼んでるんです。
 一緒に昼メシ食おうって」
 だからごめんなさい、と呟いて、彼は先輩に頭突きをして逃げた。

 明日、仕返しされることを想像しながら。
 それでもやっぱり、昼に昼飯を食べたかったので。