このお話は、けんいちろう様の「コスモスが咲くドア」を挟んだモノです。
「愛と欲の狭間とコスモス」→「コスモスが咲くドア」の順で読んでいただくと楽しいかと。

 ついでに今回長いです。

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 我が耳を疑った。

 自分で自分が信じられないなんて、高校時代に成績順位が二桁になったとき以来だ。

 あの時は確か、付き合っていた彼女から「ご褒美だよ」と言われ、体育館の倉庫で押し倒されてアレとかコレとかしてもらったりして。
 神様サイコー!
 と泣き咽びながらホルスタインをがっちりキャッチした覚えがある。

 しかし、神様ってのはあわてん坊さんなのかうっかり屋さんなのか。
「あー、悪い悪い。
 一本足りなかったなー」
 と教師に油性マジックで横棒を加えさせた。
 するとあら不思議、祐一が祐二に大変身!

 ってバカぁ!
 いまどき順位表を手書きで書くなよ!

 さらにその後、なぜか彼女から「ご褒美は返品不可だから、罰金ね」と二股の事実を告げられ、しかもキープだった模様。
 落ち込まずにいられようか!

 そういえば。
 幼稚園での初恋も「ごめんね祐ちゃん、先生、別の人と結婚するの」と保育士さんにフラれ。
 小学校では五股をかけられた挙句「だってあたしプリンスになるんだもん」と訳のわからない言い訳をされ。
 中学校ではひたすら二次元に走って傷を癒そうとしたが、ヒロインはヒーローとくっ付いてしまった。

 猫もびっくり二股街道まっしぐら!

 …………。

 神様サイテー!



「おーい、生きてるかー?」
 はっと気づくと、友人が目の前で手を振っていた。
「戻った?」
「お、おう……」
 どうやら友人の爆弾発言で意識が吹っ飛んでいたようだ。
 いかん、いかん。

 いつもの時間。
 いつもの席。
 見慣れた友人。
 美味くもない酒。
 でも割り勘だからとバーテンダーにおかわりを告げる。

「でさー、おまえに友人代表とかやってもらいたいわけよ」
 恥ずかしいのか視線を合わせようとしない友人は、グラスを回してからからと氷を鳴らす。
「へー…………え? オレが!?」
「なんだよー、友だちじゃーん?」
「じゃーんとか言うかキモイ。
 いやいや、代表とかはさ、田河とかいたじゃん?」

「あのメガネ君?」
「そう、あのメガネ君。
 おまえ家近所で幼馴染だって言ってただろ?」
「そーだけどー。
 ……あいつん家さー、別居中だし」
 それは頼めないね。
 祝うどころか呪われそうで。



 とりあえず頼んだブー
 そういって友人は、珍しく奢ってくれた。

 学生時代のあだ名が関取だった友人は、余分な脂肪とお別れして彼女と出会い、めでたくゴールイン。
 この歳になると結婚したことのない友人が少ない。
 離婚した友人も多いのは置いとくとして、一度は考えてみるべきなのだろうか。

 いいや、つい最近も浮気現場を発見して別れたばかりだ。
 浮気されやすい人ランキング堂々の一位に輝きそうな自分が結婚なんて。
「ハハハ……」
 笑いすら乾いてしまう。



 秋も深まり、朝晩に吹く風は一段と冷たい。
 帰り道を歩きながらそろそろマフラーがいるな、なんて思ったが、二股女からもらったマフラーしか持っていないことに気づいた。
 切ない。
 足元と襟元と懐と胸の内が寂しい。

 こうなったら自棄酒でもしようと、仲間を集めるのに携帯電話を開いた。
 ふいに、一番新しい登録番号が出てくる。
 ちょっと上目使いに、遠慮がちに自分を見る彼女の顔が脳裏に浮かぶ。

 ──今度は
   アタシの部屋で

   しよう、か



 スケスケ寝巻き(何ていうんだっけあれ?)に身を包み、暖めたタオルで股間を優しく拭きながら、そっと吐き出された台詞。
 何を?
 なんて問うほど子どもでもなく無垢でもない。
 今しがた吐き出した快楽のあとを拭いてもらいながら、気づかない振りをするつもりもない。

 ──いいの……か?

 ──お礼だよ、お礼!

 お礼だなんて。
 だって金を払った時点で互いの利益は一致したはず。
 彼女にはお金。
 自分には慰め。
 愚痴の途中で間男の靴をレンジでチーンしたあたりから喜劇だと気づいて笑っていたが、もしかすると気を使ってくれたのだろうか。

 美人と断定もできないし、笑うと頬骨がにょきっと出てしまう、ヒモ付きバツイチソープ嬢。
 彼女のことをどう思っているのかなんて考えたことはなかった。
 ただ気楽で、愚痴もうんうんと聞いてくれるし、顔は不器用だが舌使いは器用で。
 もしかすると、キスとかも巧かったりするのだろうか……。

 なんてことを考えているうちに惜しくなって、断りきれずに携帯電話の番号を交換していた。
 いつも暗闇でうごめく彼女の顔を見てみたかった。
 どんな顔で自分を愛してくれているのだろうか。



 彼女の顔を思い浮かべながら、彼女の番号をぼんやりと見ていたら、秋風がこそりと騒いで鼻をくすぐった。
「へっくしょい!」
 ぴ
「あ」
 とぅるるるる
 とぅるるるる
「あー……」
 押してしまった。
『はい』
 出てしまった。

「あー……オレ、です」
『……あー、うん、おはよう』
「あー、寝てた? ごめん」
『うーん、いや、サボり。
 お客さん来ないから居眠りこいてた、アハハ』
 相変わらず客付きが悪いようだ。
 いつもしてもらうときは部屋の電気は消しているのでわからないが、やっぱりあの顔が原因なんだろうか。

「ハハハハ。
 今日、何時あがり?」
『え? えー……うん、二時かな』
「じゃぁ、そのころ来るわ」
『へ?』
 ごくん、と唾を飲む。
「お礼、くれるんだよな?」
『あー………………』
 来た。
 沈黙が来た。
 やっぱり同情からポロリと出た錆だったのか。

「ごめ」
『あと一時間で上がる。
 裏口で待ってて』
 謝る前にゴーサイン。
 了解しましたと告げてホールド。

「……わーおぅ………………………………」
「いえーい!」
 酔っ払いが叫ぶ。
 飲み屋のおねーちゃんが転ぶ。
 同伴の客を釣ろうとあたりを見回すスーツ姿の若い衆。

 嬌声と罵声と奇声の中、一人不思議の国に迷い込んだアリスのようにドキドキしていた。
 アリスはスーツを着てソープ嬢と約束を取付けたりしないだろうけれど。
 もちろんその後の云々を想像してもじもじしたりもしないだろう。



「……………………しまった」
 初めてのお宅訪問に手ぶらはまずい。
「果物とか?」
 見舞いでもあるまいし。
「野菜?」
 おすそ分けか?
「ケーキ? クッキー? チョコレート?」
 混乱した頭をわしわしと掻いて、ふと目に止まったのは花屋さん。

「は、花だ!」
「いらっさいませー!」
 店内には豪華な花が我ここに在りと並び、奥のテーブルでは何十万円するんだろうかというくらい大きな花篭が製作されていた。

「贈り物ですかー?」
「は、はい」
「女性ですか?
 どんな感じの方ですかー?」
「え? あー……び、美人じゃないんだけど」
「えー、そんなー。
 バラとかいかがですかー?
 今ならー、カサブランカの白もきれいですよー?」

 実は、花なんて買ったことがない。
 お母さんの日とかあるが、小学校の頃にかたたたき券とかいう「た」の多い紙切れを何度か贈ったくらいだ。
 付き合っていた彼女にだって実はなかったりする。

 でも目に止まる、それが出会いというものか。
「こ、これ、下さい!」
「コスモスですかー? どの色ですかー?」
「……し、白で」
「どれくらい包みますかー?」
「こ、コレくらい」
 店員さんは値段を聞いたのだろうが、混乱して適当に両手で丸を作ってみる。
 いくらするのか確認しなかったが、まぁ、良かろう。

「かわいー方なんですねー」
「え?」
「コスモスって、花言葉があるんですよー」
「へー……」
「確かー、少女の純真、とか言うんですよー」
 自分で言っておきながら、きゃっ、と店員さんが体をくねらせた。
 おっさん、落ち着け。

「………………………………」
 純真、だなんて。
 三十も過ぎて少女だなんて。
 ありえない。
 でも否定できない。

 確かに彼女は美人ではない。
 けれど、頬を高く突き上げて嬉しそうに、キレイに笑う。
 その時自分はコスモスを脳裏に思い描いた。
 本能なのか、それすらわからないが、確かにコスモスだった。

 あの笑顔に胸がときめくのは、恋の予鈴が鳴り響いている証拠だろうか。
 教科書も鉛筆も要らない、二人だけの課外授業が始まろうとしているのか。



「ピンクとか入れちゃいますー?」
「あの、白だけで。
 包装紙とかも白っぽくお願いします」
「はーい!」
 
 まだコレが恋と決まったわけではないけれど。
 両手いっぱいのコスモスに、この気持ちを映しこんでみよう。