今まさにばたんと倒れたのは男だった。
彼女ではない。
彼女は頬を真っ赤にして、口角に赤い泡を吹いて憤怒の形相で仁王立ち。
「だからあたし忙しいって言ってんじゃん!?
あんたにかまってるヒマないって言ったよね!?
言ったよね!?
ねぇ、言ったよねぇ!?」
倒れこんだ男の股間をどすっと踏みつける彼女。
遠慮も躊躇も迷いもなかった。
「今日は大事な用があるって言ったじゃん!
稼がないしご飯作んないしおフロ洗わないし洗濯しないしクサイあんた置いてやったでしょ!?
たまには言うこと聞いて帰ってくるなって言ったら帰ってくるなよ!
ねぇ、聞こえた?
わかってる?
ねぇ聞いてんのぉ!?」
どすっ、ぐほぉ……。
げすっ、がはぁ……。
男はすでに虫の息だったが、神が降り立ったかのような彼女はそれにすら気づいていない様子で。
おもわず後ずさりしてしまった。
ここで彼女を止められた者は勇者と呼ぼう。
ヒモ男がヒィヒィとうめきながら匍匐前進で逃げていく。
その背中を見送った彼女はこちらに気づいてはっとした。
己を取り囲む惨劇に気づいてわなわなと震える。
「あ…………」
「…………」
「あの…………」
「…………」
「あたし…………」
さっきまでの勢いはどこへ行ったのやら。
彼女はいたずらを発動する前に見つかってしまった子どものようにシュンとうなだれ、口元についた血混じりのよだれを手の甲で拭った。
腕や足や、顔まで赤く腫れている。
蹴られたのだろうか?
殴られたのだろうか?
「……大丈夫か?」
「え……え、あ、あ、う、うん、うん」
嵐の後のような部屋の中に、ご丁寧に靴を脱いで上がりこみ、ボサボサの髪の毛から割り箸を取ってやる。
爪楊枝も絡んでいた。
どんだけヒドイことされたんだ。
「すごいな……」
コンビニ弁当にはじまり、おでん一揃い、ペットボトルのお茶は中身がこぼれ、プリンが溶解し。
机は片足がもげ、タンスは壁から一歩前進。
寝台の上には植物が鉢ごと寝そべって土をばら撒き、櫛と髭剃りと整髪料とあと何か化粧品らしき軍隊が共倒れしている。
「……ヒドイなぁ。
せっかく急いで片付けたのにさー」
「片付けてたのか?
あー、それで家に直で来いって言ったんだ?」
「うん。だってあとで気づいたんだもん。
部屋散らかしっぱなしだし、あいつまた弁当食い散らかしてないかなって思い出してさ。
すっごい急いで片付けたのっ、に……」
ひくっ、と彼女の咽が鳴る。
「ヒドイよ」
ポロリと涙が転げ落ち、アヒルのように尖らせた唇が震える。
「せっかくさー……」
涙を堪えて頬に力をこめると、あの残念な顔になる。
頬は高く、全体的に平凡で、美人とはいえない。
「せっかくさー、片付けたのにさー。
あんた来るからって思ってさ、急いで片付けてさー……」
「うん……」
残念な顔で、涙声の震える声で、ひどいありさまの部屋を見ながら呟く。
「そしたらあいついきなり来てさー。
来るなってメールしといたのに弁当買ってきて食いやがってさ。
おでんのカラシ忘れたから取って来いなんてバカ言い出すしさー。
行かないんだったら金よこせだって。
もう……もうあったま来た!!」
うあーん
まるで一昔前のアニメのような泣き声。
座り込んで仰向かせた顔いっぱいに口を開いて大粒の涙を流す。
夜中だからとか、そんなことはもう気にしていなかった。
彼女のそばに座り込んで背中から抱きしめる。
回した腕にしがみつく細い腕。
痩せこけた肩。
わんわんと、頭に響く声。
「なんでよーもう!
せっかくさー、せっかくさー!
ちょっと期待とかして部屋片付けて、コーヒーと紅茶とお茶とどれがいいんだろうとか考えたじゃん!
コーヒー牛乳もありかなーとかさー!
お腹空いてるかなーとかさー!
レンジでチンのやつでいいかなーとか悩んじゃってさー!
いい感じになったら、いい感じにしてくれるかなーとか夢見ちゃダメなわけー!?
あたしは優しくされちゃダメなわけー!?
ねぇー!?
あたしって、あたしって、そんなことも期待しちゃダメなわけー!?」
うわん、うわんと泣き声が天井いっぱいに広がる。
最上階でよかった。
バカだなー、と頭をぐりぐりと撫でる。
「何よバカだよ悪い!?」
顔だけ後ろを振り返った彼女の顔は見るも無残に妖怪と化していた。
「悪くない悪くない。
でも期待とかしちゃってバカだねー」
「うっ、うあーん!」
さらに泣き出した彼女を見て、「ははは」と笑いが漏れてしまった。
だってまるで、の○太くんみたいに単純に泣くから。
「バカだねー」
泣き続ける彼女を抱きしめる両腕に力をこめ、その首筋に顔をうずめて湧き上がる笑いを堪えようとする。
今大声で笑ったりすれば、彼女はさらに激しく泣くだろう。
期待なんてせずに、優しくしろと言えばいくらでもしてやるのに。
いや、今は言わずにおこう。
彼女が泣きつかれて落ち着いてから。
それから、ちょっと萎れてしまったコスモスの中から一番キレイなやつを一本選んで。
あげる換わりに、一番最初のキスを貰おう。
優しく蕩けるように。
懐かしいレモン味を思い出すくらい甘く。
最初が「こ」で、最後が「い」のつく授業の本鈴を二人で鳴らそう。
何度も。
何度も。
優しく。
君に一番の贈り物をしよう。
彼女ではない。
彼女は頬を真っ赤にして、口角に赤い泡を吹いて憤怒の形相で仁王立ち。
「だからあたし忙しいって言ってんじゃん!?
あんたにかまってるヒマないって言ったよね!?
言ったよね!?
ねぇ、言ったよねぇ!?」
倒れこんだ男の股間をどすっと踏みつける彼女。
遠慮も躊躇も迷いもなかった。
「今日は大事な用があるって言ったじゃん!
稼がないしご飯作んないしおフロ洗わないし洗濯しないしクサイあんた置いてやったでしょ!?
たまには言うこと聞いて帰ってくるなって言ったら帰ってくるなよ!
ねぇ、聞こえた?
わかってる?
ねぇ聞いてんのぉ!?」
どすっ、ぐほぉ……。
げすっ、がはぁ……。
男はすでに虫の息だったが、神が降り立ったかのような彼女はそれにすら気づいていない様子で。
おもわず後ずさりしてしまった。
ここで彼女を止められた者は勇者と呼ぼう。
ヒモ男がヒィヒィとうめきながら匍匐前進で逃げていく。
その背中を見送った彼女はこちらに気づいてはっとした。
己を取り囲む惨劇に気づいてわなわなと震える。
「あ…………」
「…………」
「あの…………」
「…………」
「あたし…………」
さっきまでの勢いはどこへ行ったのやら。
彼女はいたずらを発動する前に見つかってしまった子どものようにシュンとうなだれ、口元についた血混じりのよだれを手の甲で拭った。
腕や足や、顔まで赤く腫れている。
蹴られたのだろうか?
殴られたのだろうか?
「……大丈夫か?」
「え……え、あ、あ、う、うん、うん」
嵐の後のような部屋の中に、ご丁寧に靴を脱いで上がりこみ、ボサボサの髪の毛から割り箸を取ってやる。
爪楊枝も絡んでいた。
どんだけヒドイことされたんだ。
「すごいな……」
コンビニ弁当にはじまり、おでん一揃い、ペットボトルのお茶は中身がこぼれ、プリンが溶解し。
机は片足がもげ、タンスは壁から一歩前進。
寝台の上には植物が鉢ごと寝そべって土をばら撒き、櫛と髭剃りと整髪料とあと何か化粧品らしき軍隊が共倒れしている。
「……ヒドイなぁ。
せっかく急いで片付けたのにさー」
「片付けてたのか?
あー、それで家に直で来いって言ったんだ?」
「うん。だってあとで気づいたんだもん。
部屋散らかしっぱなしだし、あいつまた弁当食い散らかしてないかなって思い出してさ。
すっごい急いで片付けたのっ、に……」
ひくっ、と彼女の咽が鳴る。
「ヒドイよ」
ポロリと涙が転げ落ち、アヒルのように尖らせた唇が震える。
「せっかくさー……」
涙を堪えて頬に力をこめると、あの残念な顔になる。
頬は高く、全体的に平凡で、美人とはいえない。
「せっかくさー、片付けたのにさー。
あんた来るからって思ってさ、急いで片付けてさー……」
「うん……」
残念な顔で、涙声の震える声で、ひどいありさまの部屋を見ながら呟く。
「そしたらあいついきなり来てさー。
来るなってメールしといたのに弁当買ってきて食いやがってさ。
おでんのカラシ忘れたから取って来いなんてバカ言い出すしさー。
行かないんだったら金よこせだって。
もう……もうあったま来た!!」
うあーん
まるで一昔前のアニメのような泣き声。
座り込んで仰向かせた顔いっぱいに口を開いて大粒の涙を流す。
夜中だからとか、そんなことはもう気にしていなかった。
彼女のそばに座り込んで背中から抱きしめる。
回した腕にしがみつく細い腕。
痩せこけた肩。
わんわんと、頭に響く声。
「なんでよーもう!
せっかくさー、せっかくさー!
ちょっと期待とかして部屋片付けて、コーヒーと紅茶とお茶とどれがいいんだろうとか考えたじゃん!
コーヒー牛乳もありかなーとかさー!
お腹空いてるかなーとかさー!
レンジでチンのやつでいいかなーとか悩んじゃってさー!
いい感じになったら、いい感じにしてくれるかなーとか夢見ちゃダメなわけー!?
あたしは優しくされちゃダメなわけー!?
ねぇー!?
あたしって、あたしって、そんなことも期待しちゃダメなわけー!?」
うわん、うわんと泣き声が天井いっぱいに広がる。
最上階でよかった。
バカだなー、と頭をぐりぐりと撫でる。
「何よバカだよ悪い!?」
顔だけ後ろを振り返った彼女の顔は見るも無残に妖怪と化していた。
「悪くない悪くない。
でも期待とかしちゃってバカだねー」
「うっ、うあーん!」
さらに泣き出した彼女を見て、「ははは」と笑いが漏れてしまった。
だってまるで、の○太くんみたいに単純に泣くから。
「バカだねー」
泣き続ける彼女を抱きしめる両腕に力をこめ、その首筋に顔をうずめて湧き上がる笑いを堪えようとする。
今大声で笑ったりすれば、彼女はさらに激しく泣くだろう。
期待なんてせずに、優しくしろと言えばいくらでもしてやるのに。
いや、今は言わずにおこう。
彼女が泣きつかれて落ち着いてから。
それから、ちょっと萎れてしまったコスモスの中から一番キレイなやつを一本選んで。
あげる換わりに、一番最初のキスを貰おう。
優しく蕩けるように。
懐かしいレモン味を思い出すくらい甘く。
最初が「こ」で、最後が「い」のつく授業の本鈴を二人で鳴らそう。
何度も。
何度も。
優しく。
君に一番の贈り物をしよう。